もはや、ネタは介護しかない日常。

5年前に父親を見送り、次いで母親の介護。

ただ、母親は脚力は落ちているものの、頭はしっかりしており要支援1認定。
今年の5月からやっと週一でデイサービスで行ってくれるようになり、月曜日は自由な時間と言いたい所だが、
ほぼ掃除。
母親の落とした菓子くずに寄って来るアリ退治や、シーツの交換、部屋の掃除(子供が巣立ってから増築した実家は無駄に広い)
母親が不在となると、掃除がし易いから、月曜日は掃除デーだ。
いつまでこんな日が続くんだろう、と日々不安が募る。

私のストレスを察知してくれた、近所の元ケアマネさんのアドバイスを受けて
ショートステイが出来る要支援2に介護度が変更された。

今後のバックアップ体制を考えて、私の人間ドックと言う事で、2泊3日のショートステイを先週初めて利用した。

結果、ショートステイ失敗。
二度と行かないと言う。

隣に座っている人が、口癖のように「さっぱりわからん、さっぱりわからん」と言っていた。
その夜、その人が、母の部屋を覗いていたかと思えば、とうとう部屋に入って来たらしい。
驚いて咄嗟に窓を開けたら、強風が入ってきて心臓が飛び出るほど驚いたとは本人の弁。

更に、食事の時、目の前に座る女性は、よだれが垂れて、若い介護職員にご飯を食べさせてもらっている姿を見て
自分がこうなったらどうしようと辛くなり、涙が出て来たとの事。
入浴も予定していた日には入れず、準備していた本人には何の連絡もなく待ちぼうけ。本人が尋ねると翌日に入ると言われたそうだ。
多分女性の介護士が居なかったのではないかと。

生け花を活けたり、介護士の人と話したり、楽しい事もあったらしいが、マイナスが大き過ぎたようだ。

話を聞いたら、流石に可哀想になり次は使えないと思った。

当然ながら、この事に関しては、受け入れてくれたショートステイ先からは何の連絡も無い。
ケアマネからも何の報告も確認も無い。
超高齢者大国、日本に置いては仕方が無いのだろうか。

私自身、自分が認知症であれば、安楽死を望むところだが、頭がしっかりしていた場合はどうだろうか?と考える。
人様にはお世話になりたくないけど、ひとりでは生活できない。
いつも私の思考は八方塞がりだ。

10月になって、登山のお誘いを貰っても行けないジレンマ。
いつまで続くのだろう?

 

5月以来、絶縁状態の続くアメリカの兄は存在しないと思わないとストレスが増すと思えど、
介護とは無縁で普通に日常生活を送っていると考えるとやはりやり切れない。

近所にお姉さんか妹が居てくれたらなぁ・・・。
叶いもしない事を考えたり、親戚が居る場所に移住をしようかと考えたり。
頭の中はほとんど介護。この介護からどう抜け出せるのか、最良な方法はどれなのか。

ここ数日、頭の中を整理するために、早朝、車で20分程にある大きな公園に行って散歩を始めた。
もう少し体重を落としたら、スピードを上げてジョギングしたいと思う。
ピンと張りつめた空気の中で走るのはとても気持ちが良い。

が、夕方になるとやはり、気分が落ち込みやり切れない気持ちが押し寄せてくる。酒量も増える。

助けてくれる身内も居ない。

介護システムも合わない・・・。

もっと大変な人も居る、でも全く介護をしない人もいる。

私は何が悪い事をしたのだろうか?

 

人生は一度きり。
これからどうするべきかとても考える。