1度目の誤嚥性肺炎で胃ろうを勧められた父

母親も要支援2で、85歳要介護4の父親を自宅で介護するのに限界が見えてきて、グループホームにお願いすることになったのは、10月の事でした。それまで週に3回デイサービスに行き、土曜日にショートステイを利用するという形が暫く続いていました。

木造住宅で寒い上に、家に入るのに階段もあり、冬は特に過ごし難い家だったと思います。

でも家より良いところは無いと頑張ってきたのですが、母や私、介護者の方が日々疲れて来ていました。
冬になる前に丁度デイサービスと同じグループのグループホームが空いたというので、ひょっとしたらこれは何かの思し召しなのでは?と思う事にしました。

夜に大声を出したり、泣いたり、怒鳴ったりとかなり手を焼いていましたが、よく笑う人でもあって、いなくなると寂しいものでした。

ずーっと10年来不眠症だった私は、父がグループホームに入居して1週間後に自分が眠れている事に気付きました。介護から少し解放されたのだな、そう思っていました。

しかし入居から1か月程経った頃、父が誤嚥性肺炎になり急性期病院に入院することになりました。1か月で入院だなんてショックでした。又も環境が変わり、入院は本人にとっても、かなりストレスだったようで、
夜中大声を出して眠らず迷惑をかけたようです。強い睡眠剤を投与され、長い時間傾眠の状態である事しばしばでした。入院から1週間ほどして、担当医から話がしたいと連絡がありました。行ってみると、口からものを食べないと元気にならない。食べられないから、胃ろうか鼻チューブか長期入院できるところへ転院と言われました。

予期せぬ3択に私は驚きました。アメリカの兄にも相談し、ネットで色々リサーチしました。
下記3点はとても重要な事だと思うのでぜひ一読下さい。

  • 諸外国では認知症の人には胃ろうはほぼ行われていないこと
  • 1回目の誤嚥性肺炎で胃ろうを勧めるのは早急だということ
  • 最近では誤嚥性肺炎では治療を行わない提言もされていること

加えて父は、表彰されるほど歯が沢山あるのでどう見ても胃ろうの選択は間違っているようにしか思えませんでした。

医者の治療方針に納得がいかず、親戚にも相談すると、たまたまST(SpeechTherapist)が父にごはんを食べさせようとしているときに、叔母が病室に居て、若い男性STは、父が怒鳴っていて食べさせられなかったよ、と教えてくれました。食べられないのではなく、食べさせられなかったのよ。と

そして翌日も食べさせる訓練はキャンセルされていて、本来ならば、3回行われているはずの嚥下のテストを一度も受けていなかったのです。

そこで、食べさせるテストをしていないのじゃないかと医者に告げると、あっさり
「じゃ、嚥下のテストをしますか」と言われました。

翌日の昼、嚥下のテストをすることになり、私はテストの模様を録画する気で仕事を休み病室へ向かいました。
嚥下テストだというのに父はベッドに横になっている状態のまま。
このテストは重要なんですよ!そう思い父を起こしました。

果たして、どんな無責任なSTなんだろうかと思っていると、とても優し気な女性が登場しました。彼女を見ると父はニコリとしました。

おや?なんか違うぞ・・・。そう思い彼女に、父が胃ろうを勧められている事を話すと

「ダメです、勿体ないです!」

と言ってくれました。
彼女は、入院の翌日から父にぜリーを食べさせてくれていたようで、彼女に対してはとても素直でした。食べる時父はいつも穏やかだったらしく、他のSTの人を怒鳴ったという事にびっくりしたと話してくれました。
信頼関係が出来ていたのですね。

そして、医者殿登場。食べるテストなのに横になっていたので、私が起こしときました。とちょっとジャブをかまし、さあ嚥下テスト開始です。

案の定、見事に完食。久しぶりのしっかりした食べ物だったらしく、あっという間に完食でした。STさん、「全部食べましたよ。大丈夫です。」と医者に言ってくれました。

彼女は、STという仕事は、日本ではあまり有名ではないのだけれど、自分の判断で患者さんの人生が決まるので、責任を以て慎重にしていますと話してくれました。

そして、治療方針はグループホームに帰るという方向に変わりました。その後、彼女は自分が休みの時は、先輩STさんに予定を組んでもらう様に調整してくれました。

父の入院中に、母に代わって母の薬を貰いに行ったとき、担当の医者に、どこか誤嚥性肺炎とうまく付き合ってくれる病院ありませんか?と聞くと、色々とアドバイスをくれ、更に父が入院した急性期病院は、上の人間が老人医療が大嫌いな人で有名だから、胃ろうを勧めるだろうねと教えてくれました。

だったら受け入れず、最初から断ってくださいよ。ほんとに。

そんなこんなで胃ろうや鼻チューブは形成することなく現在に至っていますが、元のグループホームは、父が戻ってくる事に難色を示し・・・、結局別のグループホームでお世話になっています。

11月7日から29日まで
21泊22日の病院の請求は26万(259,000ちょっとで紙パンツ代別)円でした。(医療費は2割負担)、その間戻るつもりでいたグループホームの部屋代も別に払っています。
健康ってつくづくありがたいと思います。

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