2018年8月14日-病院から脱出-グループホームへ帰る

やっと、病院から脱出。

前日の13日急きょカンファレンスが開かれることになった。
病院からは、調整が付かないので、お盆後と言われていたが、一刻も早く退院させたいとグループホームの方にお願いしたら、
直ぐに、訪問看護の先生、看護師さんに連絡を取ってくれ、14日に脱出の運びとなった。
ほんとに、このグループホームの管理者の方を初め、みなさん優しい人たちでした。

案の定というか、想定内というか、急性期病院の担当医は、急患が入ったとの事で、不参加。代わりに感じの良い看護師さんがバイタルを初め、色々と説明をしてくれた。
前回の説明でも、担当医は、看取り自体を理解していないというより、わかっていない感じだったので、不参加の方がスムーズだったと思う。

訪問看護の看護師さんは、一昨年、自宅で、誤嚥性肺炎をこじらせた時も、駆けつけてくれ、点滴をしてくれた人で顔なじみだった。
(この時の点滴も腕から取れず、お腹から点滴を入れていた・・・)
私が涙目だと、私を慰めてくれ、彼女の目も潤んでいた。


人生でこんなに待ちわびたことは無かった。

8月14日12:00父のグループホームで叔母と待ち合わせ、タクシーで病院へ出向く。

予約したタクシーの運転手は、年齢の割に、デジタル機器に明るい人で、車に搭載しているタブレットが自慢の様だった。
聞きたい曲は無いかと聞かれ、特にないが、なんでもいいからと言うので父の好きだったバタヤンをリクエストした。
大音量で掛けるので、ボリュームを下げるようにお願いした。
音楽を聴く気分でないし、運転中にデジタル機器を操作するので(しかも老眼鏡を掛けたり外したりと忙しい・・・)、事故らないかそっちの方が心配だった。

どうか無事ですようにと祈る。ベッドに繋がれた父を想像すると、胸が痛み、ここ2日ほとんど寝れなかった。
さぁ、兄もアメリカから夕方戻って来る。お盆の為、国内線の予約が困難でこの日が最速だった。

退院の手筈を整え準備万端。父の腕から2週間ぶりに管が外された。細い腕には生々しい、針の痕、痛々しい紫色。

管を外してくれた、感じの良い看護師さんに、今回の担当医は、どのくらい勤めているのか聞いたら、先月からと教えてくれた。
説明がいつも曖昧な事、看護師さんと連携が取れていない理由が見つかった。

13:30 寝台車の福祉車両が病院へ迎えに来る。
外の風を受けて、父は少し驚いている様な、楽しんでいるような穏やかな表情だった。
病院からグループホームまでの30分程の道のりで、最悪痰による窒息もあると言われていたが、
特に咳込むこともなく、順調だった。お天気も良く、外の景色も楽しんでいるように見えた。
30分のドライブ後、無事にグループホームへ到着。皆さんが声高に、お帰り!と迎えてくれる。
父の周りに皆さんが集まってくれる。

2週間前、入院時も父に付き添ってくれていた、スタッフが、大きな声で父の名前を呼ぶと、
父はニコッとした。
久しぶりに見る笑顔だった。とても嬉しかった。
父を囲むスタッフみんなが笑顔になった。スタッフ総出で父を部屋へ戻してくれ、パジャマに着替えた。
グループホームのスタッフが代わる代わる、父に会いに来てくれる。

言葉は、なかなか発せないが、問いかけにはちゃんと答える。

父のお気に入りのスタッフMさん。「私の事覚えてる?」
父「うん」と頷いた後、直ぐにワザと「いいや」と首を振る。
「それでこそ、ヨシオさんだ」と日頃のやり取り。

15:00頃、看取り期のカンファレンス。
父が信頼していた、訪問介護の先生から色々な事が話される。

  • 肺炎は落ち着いてきていて、肺炎の治療は終了であった事。
  • 食べるのは難しい、お水は、窒息する可能性があるので、家族以外は与えられないこと。
  • 点滴はしないので、水分栄養は入らないが、自然の形である事。
  • 唾液でむせる、唾液に雑菌が混ざり、痰が出て肺炎を再発する可能性がある事。
  • 痰の吸引は、看護師しか出来ないので、常時出来ない事。
  • 息苦しさや熱が出たら、座薬で、眠らせて、緩和ケアをしても良い事。
  • とても苦しそうだったら、症状を収めた方がいいので、その時は、酸素マスクをつける事。
  • 水分が無くなると、熱が上がるのでその場合は、先生に連絡して経過観察。

残酷なように聞こえるが、人間の本来の姿で、食べられなくなって、飲み込みが出来なくなって、最後を迎える。
この自然の形の方がより優しいと思う、一時的に痰の吸引をすると、周りは安心するかもしれないが、状態が良くなるわけではなく、
本人にとっては、後伸ばしになっているだけである。
伸ばすというよりも、楽な形で自然な形で、現在はとても穏やかなので、今の状態で最後までいけたらいいと思う。

点滴を辞めたら、3-4日で永眠するであろうこと。明日、明後日で、すーっと逝ってしまう可能性がある事。それは、老衰である。

カンファレンスが終わり、部屋に行くと父は、とても落ち着いている。窓の外に景色がある。