ミッドライフクライシス、ミドルエイジクライシス。
死にたいという強い願望があるわけではなく、
もう、死んでもいいのかなという脱力感が、この所ある。
こう思うのは人生で初めて、いや、よく考えると中3の受験の時もそんな感じだったかも?
お酒を飲み過ぎると、翌朝落ち込むとか、自分が嫌になるとか…。
父の介護をしている時は、この環境から早く脱出したい、何をしたいという具体的な強い願望があった。脱力感よりもずっと、このままで終わってはいけない気持ちが強かった。
飲み過ぎても、翌朝平気だった。そしてストレス解消の為によく走った。
父が他界し、同居している母とは、日中はあまり時間を一緒に過ごすことは無い。
彼女も、買い物以外は、自分の事は出来るけれど、話す相手もあまり居ないので、私が帰ってくると、日々のやるせない愚痴を話し続ける。
聞く度、本当に脱力してしまう。
母親の「前は出来たのに、前は料理も美味しく作った、前は綺麗に掃除をした、前は、前は、」と言う話ぶりが、私を絶望に追いやる感じだ。
以前は「高齢なんだから仕方ないとか、皆そうなんだから」と言っていたけれど、私自身、もう母に言う元気もない。
あー、もうどうにでもなれ。と思ってしまう
たまに、可哀想だと思うけど、この人とは一緒に住みたくないと言う明らかな気持ちがある
同居したくないのに、同居しないといけないこの状況がどうも私を無気力にさせる感じだ
そして彼女のネガティブな発想は一生治りそうにもない
キチンと区切りを設けて人生を設計しないと、私が潰れそうな気がする
これがミドルエイジクライシス?なのかと思う。
ちょっと遅めのクライシスのようだけど。
今年6月に会社を辞めると会社に告げ、それに向かって整理を始めている。
次の具体的な道標が見えていない今、脱力感が増す。
とにかく、母親の泣き言が、私を滅入らせ、仕舞には死んだ方がまし、もういいやの思考にさせる。
そのネガティブな発言を止めてもらうようにはっきり言わなくていはいけない。
きっと、「死んでもいいと思う」と言えば、「一緒に死のう」と言うはずだ。あの人はそんな人。自分が一番。口では偉そうな事を言うが、自分が優先なのだ。
そんな事はわかっている。だから、私から先に私が、今後どうしたいのか自分の道しるべをきちんと話さなくては。
私だって私が優先なのだ。
私こそ愚痴っている暇はないのだ。
具体的な目標を作って、50代前半になんとか動きだし、ある程度進む。
もう、人に使われるのも嫌なので、この仕事も辞めるわけだから、悔いなく人生を送ろう。
とまずは、活字で自分を奮い立たせています。
独身と言えども、52歳ともなると色々あるもんです。
東洋経済ONLINEで偶然目にしたライフシフトという本。
読んでみようかな。
コミックがいいのかな?書籍がいいのかな?