無事グループホームに戻った父。とても落ち着いていて穏やかである。
少し眠ったらどうかと父に言うも、眠らない。
久し振りの病院からの脱出で、自由を楽しみたいだろう。
壁に掛けてある、白の帽子が目に入ると、手を出してよこせと言う。
帽子を父に手渡すと、頭に被る。どこに出掛けるつもりだったのかしら?
ひょっとして、お迎え現象?
眠りを促すように電気を消すと、消すなと顔が険しくなる。
眩しくないのかな?元々明るい所が好きだし、賑やかなのが好きだった。
何か言うのだが、聞き取れない。そうなんだねと同意だけする。
穏やかだ。管から解放され体も軽くなったのだと思う。
うっかり父親の前で水を飲んでしまったら、飲みたいと手を出す。
一人では飲ませられないから、兄に、途中何か水をあげられる物を買ってきてとお願いする。
エアマットはお盆の為、準備が間に合わず、いつものベッドだが、特に体が痛いとは訴えない。
口が渇いているので、口腔ケア用のスポンジブラシに水を含ませて、慎重に水分を口に運ぶ。
歯は沢山残っているので、スポンジを噛んで、スポンジの破片が喉に行かないように注意しないといけないとMさんが言う。
お箸にガーゼを巻いてするのがいいかも?と思い兄に、ガーゼを買ってきてもらうようにお願いする。
17:30、看護師の知り合いが居るのを思い出して、電話をする。喉が渇いているみたいなので、どんな方法があるかを聞いた。
口腔ケア用スポンジブラシで、歯に充てるだけでもいいと教えてもらった。
18:00になると、夜勤の方を残して、スタッフは帰るのだが、沢山のスタッフの方が、父の顔を見て色々と話しかけてくれる。そして、名残り惜しそうに、「また明日ね!」と部屋を後にした。
19:00頃に兄がやっと到着。(父はファンかどうかは分からないが?縁起の良さそうな赤色の)大谷選手のボブルヘッドを早速部屋に飾る。
握手をしたり、兄の言葉に頷いたり、写真を撮ったり、再会を楽しんだようだった。
兄が居る時に、ガーゼに父の好きだった、グリコの幼児用りんごジュースを含ませて、少し与える。飲むと言うほどではないが、
りんごの味は届いていた。
兄はもう少し飲ませたら?と言うのだが、ひっかけた時がとても怖いので、ほんの少しだけ、ガーゼに沁みこませて飲ませた。
時差と長旅で疲れていた兄は、1時間程滞在して、一旦家へ帰り、明日又来て、泊まる事に。
私は、20時過ぎに、部屋にヨガマットを敷いて、軽装に着替え、こっそりビールを飲んで父と乾杯した。
お腹が空いたので、ご飯を食べようとしていた、21時過ぎ、ふと思い出して、今年4月に誤嚥性肺炎でお父さんを亡くした友人にメッセージをすると、口腔ケアをしてあげてね!とメッセージが返ってきた。
少し呼吸がきつくなってきた感じだった。苦しいか聞くと、少し頷いた。
Mさんが、血圧を測りに来てくれる。正常だった。
グループホームの夜勤は大変だと思う。最大で9人の認知症のある高齢者を一人でお世話するのだ。
スタッフのMさんも日々痩せてきているので、大丈夫かな?と心配になる。
どう考えても、夜間、9人をひとりで見るのは、オーバーワークだと思う。現場をもう少し政治家は見ないといけないと思う。
加えてこちらのホームは看取りまでしてくれるので、この日の父の様に、特に注意しなければいけない人物もいる。
問いかけには、しっかりと反応した。何か言葉を発するのだが、聞き取れない。
口を見ると痰が絡んでいたので、少し取る。あまりやるととても嫌がるので、軽く。
そして、口腔ケア用スポンジブラシにガーゼを巻いて、口を湿らせる。
呼吸が楽なように、ベッドを起こす。そして背中をさする。
Mさんが、他の入居者のケアをしている間、ちょっと息をするペースが速くなってきた。
それでも、入院していた時よりは、顔は苦しくなさそうだった。病院のベッドに繋がれている時は、もっと息も荒く、苦い顔だった。
段々呼吸が荒くなってきたので、背中をさすりながら、大丈夫?と問いかけると、少し苦しそうな顔で、目が少しばかり大きく開き、
それと同時に、呼吸のペースが下がり、ゆっくりと目を閉じて、体の力が抜けていくのが分かった。
唇から赤みが無くなり一気に白っぽくなった。
「え?もう?え?早いよ、おとうさん」
私の時計で21:23頃だった。
すみません!と何回か、声を出すと、Mさんがやって来て、静かになっている父を見て驚いていた。
脈を取ろうとするが、慌てていて、機器がどこにあるか分らなくなっていた。
私はなぜかとても落ち着いていた。病院から無事脱出出来たからだと思う。
Mさんには、きっと逝く姿を見せたくなかったのかな?
あっと言う間だった。お気に入りのMさんの夜勤の時に申し訳ないと思ったのかな。
最期の最後はあまり人に迷惑をかけることなく、自分の力で逝った。
賑やかなのが大好きだった父らしく、最期に大勢の人に囲まれて、賑やかな時間を過ごした後逝った。
実家に帰り、一息ついていた兄は、急遽とんぼ返りだったが、最後に少しだけでも会えたので良かったと思う。
脱出が1日早かったら、会えなかった可能性も高かったので、グッドタイミングだった。
悪戯に延命治療をせずに、自分の力で穏やかに逝った父。
終わりよければすべてよし。そんな感じだった。
父の顔はとても穏やかだった。
40分後、訪問看護の主治医が来てくれ、22:04 死亡を確認した。
普段あまり多くを語らない先生が「なかなかできる事ではありませんよ」と誉めてくれた。
あまり褒めてもらえる事も無いので、嬉しかった。
父の場合は、歯は沢山あったのですが、喘息持ちで、器官がもともと弱い事もあり、嚥下力が低下していました。
延命治療をやめてわずか8時間で亡くなったと言う事は、もともと生きる力は無くなっていたのだと実感しました。
入院した2週間が無ければ、もう少し生きていたかもしれないけれど、日々わからないと訴え、やせ細る父を見ていると、
何か楽しい事はあるのだろうか?と考えていました。
きっと、これで良かった。私に出来る事は、やったので悔いはありません。
そう思っていましたが、最後怖がらずに、水を飲ませてあげれば良かった。海を見せてあげたかったと、やはり悔いは出て来るものです。
と、笑顔の父の遺影に色々話し掛けています。