父親の病室に行くと日々衰弱している父を見るのが辛くなる。
ベッドの両脇に付けられたポールを両手でじっとキツク握って、おびえているような姿を見ると、本当に心が痛い。
一方母親は、父親がグループホームにお世話になった昨年12月から1度だけ父親に会いに行っただけで、無関心だ。
見合い結婚の夫婦なんてこんなもんなんだろうか?母親の他人事な態度に少しイラッと来る。
日々衰弱する父、力を振り絞って出てきた言葉が「嘘ばっかり」だった。
私の心は折れた。
これだけやっているのに・・・。動けるのは私だけだから、精一杯やっているのに・・・。
兄に言うと、それは病院に居たくないと言っているんだねと言った。
確かにそうなのかもしれない、これは、もう病院に居たくは無いという最終サインだ。
ICUに居た頃から、何度も帰りたいと訴えていたそうだし、誤嚥性肺炎治療の為に8月1日からずっと飲まず食わずだ。
こんな状況の中、こんなに険しい父親の顔を緩和できるのは、病院脱出しかない。
そう思った。
そして私は、母、兄、も賛同の元、延命治療はしない、このおかしな日本の医療から脱出する事を担当医に話した。
急性期病院は、治療をしないといけないので、点滴を辞めるというのにも、抵抗があるようだが、食べ物を食べられないと判断したのは、この病院だ。
85歳、若干の認知症の症状を抱え、食べられないと何の楽しみがあるのだろう?グループホームは、明るいので良いけれど、これが病院の個室となるとどうだろう?
日々「わからない」と訴え、病院の痰吸引では、全力で抵抗しても35キロの体では抵抗できず、鼻から口からチューブを入れられ、
「もういい」と涙が目から滲み、かすかな声で訴える。
痰の吸引は、虐待の様に見えて仕方なかった。(痰吸引というのは、看護師さんの人柄が出るそうだ)
お盆前、担当医師に、出来るだけ早くグループホームに連れて帰りたい旨を伝えた。
同席した医師、看護師は、グループホームや、訪問看護はお盆なので、調整はお盆以降になるというような事を言う。
しかし、父はもう苦痛で仕方無いのだ、見舞う度に衰弱しているし、もうこれ以上、入院という苦痛は与えたくない。
ケアマネジャーや、グループホーム、訪問介護の人とカンファレンスをしないといけないと言う。
が、しかし、その場に、入院時のカンファレンスで在籍していたコーディネーター的な存在だった介護福祉士の姿は無かったので、
私が、調整をしなければいけない風向きだった。
私の頭は、父の苦しむ顔の救助の事で一杯だった。
帰りに駐車券を清算して、お金を払ったけれども、パーキングチケットを取っておらず、車に戻っていくら探してもチケットは見つけられなかった。
仕方なく、受付に事情を説明すると、無料化したチケットをくれた。
そのチケットをくれた女性は、紛れもなく、前回のカンファレンスで出席していた介護福祉士だった。
制服を着て受付業務をしていた。
どこも人手不足だったと感じた。担当医もあまりにも周りの職員とのコミュニケーションが取れていなかった。
叔母が、最近来た先生じゃないの?看護師さんが強いんじゃない?というので、聞いてみたら、先月来たばかりの医師だと聞いた。
だとしても、ホウレンソウは基本だし、仕事はきちんと全うして欲しい。
グループホームの責任者に連絡をして、看取りをお願いしたい旨を伝えると、直ぐに訪問介護のスケジュールを聞いてくれ、
14日が最速で対応出来る日だという事で、その日に退院をお願いし、私は、寝台車の介護福祉タクシーを予約した。
ある程度決まった頃、病院からカンファレンスがしたいと連絡があった。
ほんと何もかもが後手後手の、人手不足が表面化した急性期病院だった。
14日までの3日間、繋がれた父が我慢できるのかが本当に気がかりで、本当に辛かった。
胃が痛く、祈るような気持ちで14日を待つのだった。